訪問看護の「ブリコラージュ」|レヴィ=ストロースから考える限られた資源で最善を尽くす知恵
結論サマリー
訪問看護の現場には「理想通りにはいかない」状況が常につきまとう。人が足りない、予算がない、時間がない——そんな制約の中でも、最善のケアと経営を実現するための知恵を、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが提唱した「ブリコラージュ」という概念から考えます。
訪問看護ステーションの経営者や管理者なら、誰しも一度はこんな場面に直面したことがあるはずです。 新しいシステムを導入したいが予算がない。もう一人スタッフを採用したいが、そもそも応募がない。理想のケアプランを描いても、現実の人員配置では実現が難しい——。 こういう状況で、どうするか。 「資源が揃ったら始める」と待ち続ける経営者がいる一方、今あるものを組み合わせ、工夫を重ねながら前に進む経営者がいます。後者の思考と行動様式を、哲学的に照らし出したのが、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss, 1908–2009)の概念「ブリコラージュ(bricolage)」です。
ブリコラージュとは何か|「ありあわせの素材で創造する」
エンジニアとブリコルール
レヴィ=ストロースは1962年の著書『野生の思考』の中で、二種類の知的活動を対比させました。 一方は**エンジニア(工学者)の思考。エンジニアは明確な目的のために、必要な素材・ツール・工程を設計段階から揃え、計画通りに構築します。現代的な科学・技術の象徴です。 もう一方はブリコルール(bricoleur)**の思考。ブリコルールとは、もともとフランス語で「器用人」「日曜大工師」を意味します。ブリコルールは計画のために材料を揃えるのではなく、手元にある「ありあわせの素材(le disponible)」を見つめ、それらをどう組み合わせれば何かが生まれるかを問います。 重要なのは、これはエンジニアの「上位互換」でも「劣化版」でもないという点です。レヴィ=ストロースはブリコラージュを、文明社会に先立つ「未開の思考」として蔑んだのではなく、それ独自の洗練された知性として捉え直しました。
「手元にあるもの」を問い直す
ブリコラージュの核心は、素材そのものが語りかけてくる何かに耳を傾けることにあります。 ブリコルールは道具箱を持っています。その中には過去のプロジェクトで使った余り物、どこかから拾ってきた木片、本来別の用途だったネジなど、雑多な「使えそうなもの」が詰まっています。ブリコルールはそれらを前にして「これは何になれるか」を問います。 訪問看護ステーションにも、こんな「道具箱」があるはずです。スタッフ一人ひとりの専門性・趣味・特技。地域の関係機関との関係性。長年使ってきたが最新ではないシステム。ベテランスタッフの経験則。地域住民のボランティアネットワーク——これらはすべて、ブリコルールにとっての「ありあわせの素材」です。
訪問看護経営における「制約」の正体
資源不足は「前提条件」である
訪問看護ステーションの多くは、慢性的な人員不足・財政的制約・地理的ハンデを抱えています。これは個々のステーションの失敗ではなく、業界の構造的現実です。 「人が揃えばいいケアができる」「お金があれば良いシステムが入れられる」——これは事実ですが、そこで思考が止まってしまうと、何も動きません。ブリコラージュ的思考は、制約を「克服すべき障壁」ではなく「創造の条件」として捉え直す視点を与えてくれます。
「なければできない」から「あるもので何ができるか」へ
エンジニア的発想では、まず要件定義をして、必要なリソースを割り出し、それを調達する計画を立てます。これは大規模・安定環境では有効です。しかし、訪問看護ステーションのように変化が激しく、資源が常に不足しがちな環境では、しばしば機能不全に陥ります。 ブリコラージュ的発想では、問いの順序が逆になります。「今ここに何があるか?」から始めて、「それをどう組み合わせると、利用者や組織に価値を生み出せるか?」へと向かいます。
Footageの実践|ブリコラージュとしての経営・ケア
「得意なことを持ち寄る」組織設計
Footageでは、スタッフ採用・配置において「標準的な訪問看護師」を求めることをやめました。 あるスタッフは精神科領域に強い。別のスタッフはリハビリ視点でのケアが得意。また別のスタッフは地域のインフォーマルネットワークに顔が広い。記録が得意なスタッフ、利用者家族とのコミュニケーションが特に上手いスタッフ——。 これらは「標準から外れた特殊なスタッフ」ではなく、ブリコルール的には「道具箱の中の多様な素材」です。それぞれの強みを組み合わせることで、一人ひとりが「完全な訪問看護師」でなくても、チームとして包括的なケアが実現できます。
地域資源の「再解釈」
一般に「地域資源が乏しい」と言われるエリアでも、見方を変えると異なる景色が見えてきます。 医療機関が少ない地域は、言い換えれば「医療過疎だからこそ訪問看護の存在価値が高い」地域です。民間事業者の参入が少ない地域は、「競合が少なく、地域住民との関係を深く築きやすい」地域でもあります。 廃校になった学校施設を地域の交流拠点として活用した事例、郵便局や農協との連携で見守り機能を持たせた事例——これらはすべて、「ないもの」を嘆くのではなく、「あるもの」を再解釈したブリコラージュの実例です。
予算なしで始めたICT活用
資金調達の前に何ができるかを問い続けた結果、FOOTAGEではコストをほぼかけずに始めたICT活用の工夫がいくつもあります。 無料・低コストのビジネスチャットツールを活用した情報共有。既存のスマートフォンカメラを使った傷の経過観察と写真記録。地域の勉強会・研修会をZoomで主催し、採用広報と人材育成を同時に実現する——。 いずれも「完璧なシステムが整ったら始める」という発想では生まれません。「今あるこれで、何ができるか」という問いから生まれたものです。
ケアの場でのブリコラージュ
ブリコラージュは経営レベルだけでなく、個々のケアの場面でも日常的に機能しています。 自宅にある物で転倒防止の工夫をする。市販品を組み合わせて福祉用具の代わりにする。ご家族の趣味や特技をケアの一部に組み込む——。 「正規の福祉用具がないとできない」ではなく、「今ここにある環境・人・物をどう活かすか」を考えることは、訪問看護師にとって日々の実践そのものです。
ブリコラージュ思考の限界と注意点
「場当たり対応」との違い
ブリコラージュは、行き当たりばったりの場当たり対応とは異なります。レヴィ=ストロースが強調したのは、ブリコルールは素材の可能性を深く理解した上で組み合わせを考えるという点です。 場当たり対応は目の前の問題を「とりあえず」解決しようとします。ブリコラージュは、手元の素材が何になれるかを問いながら、意味のある何かを生み出そうとします。 このため、ブリコラージュを組織に活かすためには、スタッフ一人ひとりが自分の「素材」——専門性・経験・強みを深く自己理解していることが前提になります。
標準化・専門性との両立
ブリコラージュ的柔軟性と、専門職としての標準化・エビデンスベースドケアは矛盾しません。むしろ、専門的知識という確固たる基盤があるからこそ、応用・変形・組み合わせが意味を持つのです。 標準を学ばずして「ブリコラージュ的に柔軟に対応します」というのは、知識不足の言い訳になります。ポランニーの暗黙知とも通底しますが、「型を知った上で型を超える」というプロセスが重要です。
ブリコラージュ的経営を育てる組織文化
「失敗を実験として捉える」文化
ブリコラージュは試行錯誤を本質的に含みます。「これとこれを組み合わせたらどうなるか」を試してみなければ、答えはわかりません。 このため、小さな失敗を責めず、「何がわかったか」を問う文化が必要です。Footageでは、「うまくいかなかった工夫」をカンファレンスで共有する習慣を大切にしています。失敗の情報こそ、次のブリコラージュの素材になります。
「既存の使い方以外を問う」習慣
ブリコルールが「これは何になれるか」と問うように、組織として「今あるリソースの使われていない可能性」を定期的に問う時間を設けることが有効です。 「このスタッフの趣味・資格を、ケアや広報に活かせないか」「この利用者との関係を、地域啓発に活かせないか」——こうした問いが、予算ゼロの新しいサービスや取り組みを生み出します。
サーバントリーダーシップとの接続
ブリコラージュ的組織文化を育てるリーダーには、「正解を与える」ことよりも「素材を組み合わせる実験を支援する」姿勢が求められます。これはサーバントリーダーシップの考え方と深く重なります。
よくある質問
Q. ブリコラージュ的発想は、計画性のなさを正当化しませんか? A. ブリコラージュは無計画ではありません。レヴィ=ストロースが示したように、ブリコルールは素材の特性を深く理解した上で意図的に組み合わせを選択します。計画の「前提」を柔軟にするのがブリコラージュです。「何のために行動するか」という目的は明確に持ちながら、「どの素材でそれを実現するか」については柔軟に構えることが重要です。 Q. 小規模ステーションと大規模ステーション、どちらにブリコラージュが向いていますか? A. どちらにも有効ですが、特に小規模ステーションでこそブリコラージュ的発想が競争優位になります。大規模な組織がエンジニア的計画性で動く中、地域密着の小規模ステーションは「今ここにあるもの」を最大限活かす柔軟性で差別化できます。 Q. スタッフがブリコラージュ的思考を身につけるにはどうすればいいですか? A. 「なければできない」という発言をした時に、「今あるものでどうすれば近づけるか?」と問い返す習慣を管理者が示すことが最も効果的です。また、小さな工夫の成功事例を積極的に共有し、「工夫した人が評価される」文化を作ることも重要です。 Q. ブリコラージュは利用者のケアの質に直接影響しますか? A. 大きく影響します。「正規の福祉用具や制度がないとできない」という固定観念を外すことで、その利用者の自宅・家族・生活習慣という「ありあわせの素材」を最大限活かしたケアが可能になります。これは「その人らしい生活を支える」という訪問看護の本質にも直結します。 Q. レヴィ=ストロースのブリコラージュ概念は経営学でも使われていますか? A. はい。特に「エフェクチュエーション(Effectuation)」と呼ばれる起業家思考の研究(サラス・サラスバシー)とブリコラージュは密接に関連しています。「所与の目標から必要な手段を逆算する」因果論的思考ではなく、「手元の手段から生み出せる目標を探る」エフェクチュアル思考として、スタートアップ経営や不確実性の高い環境での意思決定に応用されています。
まとめ
レヴィ=ストロースのブリコラージュは、「制約の中でこそ創造が生まれる」という逆説的な知恵を教えてくれます。 訪問看護ステーションの経営・ケアの現場は、常に資源の制約と向き合う場です。人が足りない、お金が足りない、時間が足りない——それでも、「今ここに何があるか」を問い、それらを意味ある形で組み合わせていく実践が、ブリコラージュです。 エンジニア的に「完璧な条件が揃ったら始める」のではなく、ブリコルール的に「今あるものでできる最善を試みる」——この姿勢の差が、5年後・10年後のステーションの姿を大きく変えていきます。 Footageが積み重ねてきた実践知も、その多くがブリコラージュの産物です。「正解の経営モデル」をそのまま移植するのではなく、自分たちの道具箱の中にあるものを見つめ、それらを組み合わせながら、自分たちだけのやり方を作っていく。その過程にこそ、組織としての知恵と誇りが宿ります。
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