「言葉にできない」をどう伝えるか|ポランニーの暗黙知から考える訪問看護の知恵の継承
結論サマリー
ベテラン訪問看護師の「勘」や「感覚」は、言語化できないからこそ価値がある。哲学者マイケル・ポランニーが提唱した「暗黙知」の概念を手がかりに、訪問看護現場における知恵の継承をどう設計するかを考えます。同行訪問と振り返りの実践が、暗黙知を組織の力に変える鍵となります。
訪問看護の現場には、教科書に書けない知識が溢れています。
「この利用者さん、今日はいつもと少し違う」と感じるベテランの直感。玄関を入った瞬間に家族関係の緊張を察知する能力。バイタルサインは正常でも「何かある」と感じる皮膚感覚的な判断力。
これらを新人スタッフに「教えてください」と言っても、ベテランは困ってしまいます。「経験を積めばわかる」「体で覚えるしかない」——そう答えながらも、どこかもどかしさを感じているはずです。
この問題に哲学的な光を当てたのが、ハンガリー出身の科学哲学者マイケル・ポランニー(Michael Polanyi, 1891–1976)です。彼の残した言葉、「われわれは語れる以上のことを知っている(We can know more than we can tell)」は、訪問看護の知恵の継承問題を考える上で、根本的な示唆を与えてくれます。
ポランニーが発見した「知識の二層構造」
明示知と暗黙知
ポランニーは、人間の知識を大きく二つに分けました。
一つは明示知(Explicit Knowledge)。言語や数式、図表として表現できる知識です。訪問看護でいえば、アセスメントの手順、薬の用量、疾患の病態生理などがこれにあたります。マニュアルに書ける、研修で教えられる、記録に残せる——そういった性質の知識です。
もう一つが暗黙知(Tacit Knowledge)。言語化が難しく、体験を通じてのみ習得できる知識です。「語ることができるよりも多くのことを知っている」という状態がまさにこれで、自転車の乗り方を説明できても、説明を読んだだけでは乗れないのと同じ構造です。
ポランニーにとって重要だったのは、この二つは截然と分かれるものではなく、すべての明示知の背後には暗黙知があるという点でした。医師の診断技術を例にとれば、問診の手順(明示知)は学べても、患者の表情や声のトーンから異常を嗅ぎ取る力(暗黙知)は、膨大な臨床経験の中で身体に刻み込まれていきます。
焦点的注意と補助的注意
ポランニーはさらに、知識の働き方を「焦点的注意(focal awareness)」と「補助的注意(subsidiary awareness)」という概念で説明しました。
ハンマーで釘を打つとき、私たちが意識(焦点的注意)を向けるのは釘の頭です。しかし手のひらがハンマーの重さや振動を感じ取っていること(補助的注意)があって初めて、釘を正確に打ち込める。
訪問看護における暗黙知も同じ構造です。ベテランナースが「この利用者さんは今日しんどそう」と判断するとき、焦点的に意識しているのは利用者の顔色や返答です。しかし実際の判断は、過去の無数の訪問で身体に刻まれた「この方の普段」という補助的知識が支えています。この補助的な知識のネットワークは、言葉にしようとした瞬間に消えてしまうことさえあります。
なぜ訪問看護現場で暗黙知が特に重要なのか
病院とは異なる「孤独な判断」の連続
病院看護では、医師・薬剤師・リハスタッフが同じ空間にいます。「先生、ちょっと見てもらえますか」と声をかけることができる。しかし訪問看護師は、多くの場合一人で利用者宅を訪問し、その場で判断を下さなければなりません。
この「孤独な判断」の質を支えているのが、まさに暗黙知です。マニュアルでカバーできない無数の局面で、身体に刻まれた経験知が判断の根拠になります。
ケアの「文脈」は言語化できない
在宅ケアには、病院にはない豊かな文脈があります。利用者の自宅の生活史、家族関係のダイナミクス、地域のコミュニティとの繋がり——これらは記録に書き切れません。
「この方の娘さんが来た翌日は、いつも元気がない」「この季節になると昔の仕事の話をよくされる」——こうした文脈的知識は、ベテランスタッフの頭の中に蓄積された暗黙知として機能しています。担当者が急に変わったとき、ケアの質が落ちてしまうのは、この文脈的暗黙知が引き継がれないからです。
高い離職率という構造問題
訪問看護業界の離職率は、全業種平均と比べても高水準です。ベテランが辞めるたびに、その人が持っていた暗黙知が組織からごっそり失われます。
しかも厄介なのは、その損失が「見えない」ことです。マニュアルやシステムは残りますが、そこに書かれていない知恵——「あの場面でどう判断するか」「この利用者さんの変化をどう読むか」——は消えてしまいます。
ポランニーからSECIモデルへ|日本発の知識経営理論との接続
ポランニーの暗黙知概念は、1990年代に経営学者の野中郁次郎によって経営実践に接続されました。野中は「SECIモデル」(知識創造の4モード:社会化・表出化・連結化・内面化)を提唱し、組織における暗黙知と明示知の相互変換を体系化しました。
ポランニーが「語れる以上のことを知っている」という認識論的事実を発見したとすれば、野中はそれを「では組織としてどうマネジメントするか」という実践論に転換したと言えます。訪問看護の知恵の継承を考えるとき、ポランニーを理解することはSECIモデルの源流を理解することです。
暗黙知は「個人の中にある」だけでは組織の力になりません。ポランニーが示した認識論的構造を理解した上で、それを組織内で循環させる仕組みを設計すること——これがSECIモデルが目指すものです。
Footageの実践|同行訪問と振り返りで暗黙知を可視化する
同行訪問という「共同身体経験」
私たちFootageが実践してきた中で、暗黙知の継承に最も効果的だったのが同行訪問です。
同行訪問は単なる「見習い」ではありません。ポランニーの言葉を借りれば、「補助的注意のネットワークを共有する時間」です。
ベテランナースが玄関を入った瞬間に「ん?」と立ち止まる。その「ん?」を新人スタッフが横で体験する。後で「さっきのは何ですか?」と聞いたとき、ベテランが「自分でもうまく言えないんだけど、においが少し違った気がして…」と答える。
この会話の中に、暗黙知の移転の核心があります。「においが少し違う」という気づきが、なぜ「ん?」につながるのか。その連結を体験から学ぶことが、同行訪問の本質的な価値です。
構造化された振り返り(デブリーフィング)
同行訪問の後に行う振り返りの時間を、Footageでは意図的に設計しています。ポイントは「何をしたか」ではなく「なぜそう判断したか」を問うことです。
-
「玄関に入った瞬間、何を感じましたか?」
-
「バイタル測定の前に、何を確認しましたか?」
-
「家族への声かけを、なぜあのタイミングにしましたか?」
これらの問いは、ベテランの補助的注意を焦点的注意に引き上げる働きをします。完全な言語化はできなくても、「確かに、こういうことを無意識にやっていた」という気づきが生まれます。この気づきの共有が、暗黙知を「伝えられる何か」に近づけていきます。
ケースカンファレンスの設計変更
以前のFootageのケースカンファレンスは、主に「状態報告」の場でした。バイタルの推移、医療処置の実施状況、家族からの要望——情報の共有が中心です。
これを変え、「判断の共有」の場として再設計しました。「あの時なぜそうしたか」「自分なら別の判断をしたかもしれないが、どう思うか」——こうした問いを中心に据えることで、個人の暗黙知が組織の対話の素材になります。
時間はかかります。効率的ではありません。しかしポランニーが指摘したように、「語ることができないもの」に近づくためには、この迂回路しかありません。
ナラティブ記録の導入
訪問看護記録は伝統的に「客観的事実」を記す形式です。しかし私たちは、一部の記録に「主観的印象」を書いたり、チャットツールで共有しています。
「今日は表情が明るかった。理由は明確でないが、部屋の雰囲気が違った」
「娘さんの声かけ方が先週と変わった。何かあったかもしれない」
これらは科学的根拠のある記録ではありません。しかし、次に訪問するスタッフの「補助的注意」を準備するための情報として、大きな価値があります。暗黙知を完全に言語化することはできませんが、その「予感」を共有する文化を作ることはできます。
暗黙知の継承を阻む組織的障壁
「言語化できないものは共有できない」という誤解
多くの訪問看護ステーションで見られるのは、「標準化・マニュアル化」への過剰な依存です。確かに明示知の標準化は重要です。しかしそれだけでは、ケアの質の核心部分を伝えることはできません。
ポランニーの認識論が教えるのは、「言語化できないものは存在しない」ではなく、「言語化できないものほど本質的である」ということです。
時間的圧力
訪問看護ステーションの多くが慢性的な人手不足・時間不足の中にあります。「振り返りの時間なんて取れない」——この現実は理解できます。
しかし逆説的に言えば、振り返りに時間を割かないことが、長期的な人材育成コストを増大させます。新人が独り立ちするまでの期間が長くなり、インシデントリスクが上がり、「自分には向いていない」と感じた新人が早期離職する——この悪循環の根本に、暗黙知継承の欠如があることは少なくありません。
「ベテランの属人化」への無自覚
「あの人がいれば大丈夫」という安心感は危険なシグナルです。ベテランスタッフへの過度な依存は、その人が休んだとき・辞めたときに組織を脆弱にします。
暗黙知の継承は、ベテランの「価値を奪う」ことではありません。むしろ「その人が培ってきた知恵を組織の宝にする」プロセスです。ベテランにとっても、自分の知恵が後輩に受け継がれることは、専門職としての誇りにつながります。
実践のためのチェックリスト
訪問看護ステーションが暗黙知の継承に取り組む際の、最初のステップを以下に示します。
同行訪問の設計
-
同行目的を「観察」ではなく「判断の共有」として明確化する
-
訪問後の移動時間で振り返り時間を必ず組み込む
-
「なぜ」を問う習慣をつける(「何をしたか」ではなく)
カンファレンスの再設計
-
状態報告と判断共有の時間を分ける
-
「あの時の判断、実は迷ったんだけど」という発言が安全にできる場を作る
-
新人の「素朴な疑問」を歓迎する文化を意図的に作る
記録の工夫
-
主観的印象を書ける欄を設ける(「気になったこと」など)
-
完璧な言語化を求めず、「メモ程度でも書く」文化を推奨する
よくある質問
Q. ポランニーの暗黙知とSECIモデルの違いは何ですか?
A. ポランニーの暗黙知は「認識論」——人間がどのように知識を持つかという哲学的問いに答えるものです。一方、SECIモデルは「経営論」——組織がどうやって知識を創造・共有・活用するかという実践的フレームワークです。ポランニーが「暗黙知という現象を発見した」とすれば、野中郁次郎はそれを「組織でどう扱うか」に応用した、という関係です。
Q. 暗黙知は完全に言語化できないのでしょうか?
A. 完全な言語化は原理的に困難です。ポランニーが示したように、言語化しようとすること自体がその知識の性質を変えてしまうことがあります。ただし「完全に言語化することはできないが、ある程度近づけることはできる」という立場が現実的です。振り返りや対話は、その「ある程度」を最大化するための取り組みです。
Q. 人手不足でもできる暗黙知継承の取り組みはありますか?
A. はい。最小コストで始めるなら「5分振り返り」をお勧めします。同行訪問後、車の中で5分だけ「一番印象に残った判断場面」を一つ話す。それだけでも、暗黙知の言語化への試みとして有効です。完璧な仕組みを作ることより、小さく始めることが大切です。
Q. 新人スタッフの「素朴な疑問」をどう活かせますか?
A. 新人の「なぜそうするんですか?」という問いは、ベテランが無自覚に行っていることを言語化するきっかけになります。「当たり前だから」と切り捨てず、「そう言われると確かに…」と一緒に考える文化が、暗黙知の可視化に繋がります。新人の疑問を「宝」として扱う文化設計が重要です。
Q. ベテランスタッフが「うまく教えられない」と感じている場合、どう支援できますか?
A. 「うまく教えられない」という感覚は正常です。ポランニーが示したように、暗黙知はそういうものだからです。支援のポイントは、「教える」という負荷を下げること。「一緒に考える」「思い出を語る」「あの時どうだったっけ?と振り返る」——こうした対話的アプローチで、ベテランも無理なく関与できます。
まとめ
ポランニーの「われわれは語れる以上のことを知っている」という言葉は、訪問看護の知恵の継承問題を考える際の根本的な前提を示しています。
ベテランの知恵は「教えようとしても教えられない」ものです。しかしそれは「継承できない」という意味ではありません。同行訪問・構造化された振り返り・判断を中心に据えたカンファレンス——こうした実践の積み重ねが、暗黙知を少しずつ組織の力に変えていきます。
完璧な言語化は目指さなくていい。「語れない」を認めながら、それでも伝えようとする継続的な対話こそが、訪問看護の知の継承の本質です。
Footageでは、この実践を通じて、新人スタッフがベテランの「感覚」に近づくスピードが上がることを実感しています。そしてそれは、ケアの質の向上と、スタッフの専門職としての誇りの醸成につながっています。
あわせて読みたい
-
SECIモデルで考える訪問看護の組織的知識創造
-
ZPDを活かした訪問看護の新人育成戦略
-
自律分散型組織で訪問看護ステーションを強くする
お問い合わせ
訪問看護の経営・人材育成に関するご相談は、こちらのフォームからお気軽にどうぞ。