訪問看護ステーションの意思決定支援体制の構築|清水哲郎の臨床倫理から考える意思決定支援

訪問看護ステーションの意思決定支援体制の構築|清水哲郎の臨床倫理から学ぶ意思決定支援の文化

結論サマリー:ACP(アドバンス・ケア・プランニング)を「書類を整備すること」として捉えると失敗する。清水哲郎の臨床倫理が示す「意思決定プロセスを支える」という視点を組織文化に落とし込むことが、訪問看護における本質的なACP実装に繋がります。

「ACP、やっていますか?」——この問いに、訪問看護の管理者がどう答えるかは、組織の成熟度を映す鏡だと感じます。

「はい、書類を整備しています」「入院時情報提供書に記載しています」——それ自体は大切なことです。しかし書類が整っているかどうかと、現場でACP的な意思決定支援が実際に機能しているかどうかは、全く別の話です。

東京大学名誉教授の清水哲郎が体系化した臨床倫理のアプローチは、この問題に正面から向き合うための思想的基盤を提供してくれます。この記事では、清水の臨床倫理論とFOOTAGEの実践経験を照らし合わせながら、訪問看護ステーションにおけるACP体制構築の本質を考えます。

ACPとは何か:「制度」として捉えることの落とし穴

ACP(Advance Care Planning)は、将来の意思決定能力の低下に備えて、本人が望む医療・ケアについて、本人・家族・医療介護チームがあらかじめ話し合うプロセスとして定義されています。厚生労働省は2018年の「人生会議」普及啓発以降、ACPの普及に力を入れてきました。

しかし現場では、ACP導入が「文書の整備」や「チェックリストの充実」に矮小化されてしまうことが少なくありません。「ACP実施率○%」という数値目標が設定され、スタッフは「ACPの書類を取った」ことをもって「ACPをした」と報告する——このパターンに陥ると、本人の意思が本当の意味で尊重されているかどうかとは無関係な「ACPの形骸化」が起きます。

FOOTAGEでも、最初はこの落とし穴にはまっていました。書式を整え、看護サマリに「延命処置の希望」欄を設け、スタッフにその記載を義務付けた。しかし現場から上がってくる声は「何を聞けばいいかわからない」「利用者さんが嫌そうな顔をした」という戸惑いばかりでした。

問題は書式ではなく、「なぜACPをするのか」「どう進めるか」という文化と技術が組織に根付いていなかったことです。

清水哲郎の臨床倫理:プロセスを支えるという視点

清水哲郎は、医療倫理・生命倫理の文脈で「臨床倫理」という概念を日本に根付かせた研究者です。彼の主著である『医療現場に臨む哲学』(勁草書房)をはじめとする著作群は、「臨床の場でどう倫理的に考え、行動するか」を実践的に問います。

清水の臨床倫理で特に重要な概念のひとつが「意思決定のプロセスを支える」という視点です。

通常の医療倫理では「本人の自律を尊重する」「インフォームドコンセントを得る」という形で、「最終的な意思決定の結果」に注目する傾向があります。しかし清水は、患者・家族・医療者が意思決定に向けて共に考えるプロセス自体が倫理的な実践である、と主張します。

具体的には、彼は意思決定支援の場を「患者にとって最善の選択は何か」を多職種で共に探求する場として捉えます。「本人の意向」「家族の意向」「医学的適応」「生活・価値観の文脈」の4つの要素を統合的に検討し、誰かひとりの価値観に依拠するのではなく、対話を通じて「今ここでの最善」を見出していく。

この視点は、ACPを「一度やったら終わり」の書類整備として捉えるのではなく、「繰り返し対話を重ねながら、本人の意思を継続的に確認・更新していくプロセス」として再定義する根拠になります。

「語り(ナラティブ)」を引き出すことの重要性

清水の臨床倫理において特に重要なのが、「語り(ナラティブ)」への注目です。

本人が「延命処置は望まない」と言った場合、その一言の背景には、その人のこれまでの人生・価値観・恐れ・大切にしてきたもの——つまり「物語」があります。その語りを聞かずに「延命処置拒否」という記録だけ残すことは、ACPの本質から外れています。

訪問看護師は、医師や病院スタッフに比べて本人の「日常」に接する機会が多い存在です。入浴介助をしながら、食事の介助をしながら、なにげない会話のなかで「こんな最期を迎えたい」「昔はこんなことが好きだった」という語りが出てくることがあります。

この「語り」を受け取り、多職種で共有し、意思決定の素材にすることこそが、訪問看護における高度なACP実践です。「アンケートに答えてもらう」のではなく「語りを聴く」——この転換が、ACPを制度から文化へ変える起点になります。

FOOTAGEでの試行錯誤:何が変わったか

Footage訪問看護ステーションでACPの実践が変わったのは、「技術」よりも「文化」を先に変えようとしたときでした。

具体的には、以下のような取り組みを積み重ねました。

事例検討会の位置づけを変える:月1回の事例検討会を「困ったケースの報告会」から「臨床倫理検討会」へと変えました。「あのとき本人はどう感じていたか」「私たちは何を大切にして関わったか」という内省の場にする。これが難しいケースへの対応力と、ACP的な会話の質を高めることに直結しました。

「会話の場面を記録する」文化の定着:看護記録の中に「本人・家族の語り」を残したり、チャットツールで共有する文化も形成しています。「今日○○さんが、『もう入院はしたくない』とおっしゃっていた。理由を聞くと……」という形で語りを残すことが、次の訪問看護師やケアマネへの引き継ぎになり、継続的な意思確認のプロセスになります。

管理者が「わからない」と言える組織づくり:難しいケースでは、管理者自身が「これが正解かわからない」「一緒に考えてほしい」と言える雰囲気をつくることが重要でした。管理者が「答えを持っている人」として振る舞うと、スタッフは「答えを求める」態度になり、「本人と一緒に考える」姿勢が育ちません。

ACP推進の実践ステップ

ここでは、清水の臨床倫理の視点を踏まえたACP推進の具体的なステップを示します。

まずスタッフ全員が「ACPは書類ではなく対話のプロセスだ」という認識を持つことが土台です。導入研修では、ACPの定義よりも「なぜ私たちは本人の意向を聞く必要があるのか」という問いから始めることをお勧めします。

具体的には、オープンクエスチョンの使い方、沈黙の受け止め方、「死」や「最期」に関する会話の入り方などを、ロールプレイや同行訪問を交えて練習します。「どんな最期を望みますか」という直接的な問いより、「最近、体の調子はどうですか」「ご家族との時間で大切にしていることはありますか」という自然な会話の流れが、ACP的な語りを引き出しやすいことも学びます。

訪問看護師が聴いた語りを、ケアマネジャー・主治医・家族へつなぐ仕組みを設計します。担当者会議での「本人の意向の確認」を定例項目にすること、重要な語りは訪問看護計画書や報告書、情報共有ツールに記録することなどが有効です。

本人の意向は時間とともに変わります。「一度聞いたから大丈夫」ではなく、病状の変化・入退院・季節の変わり目などのタイミングで「最近、改めてどうお考えですか」と確認する文化を作ります。

思い通りに進まなかったACP、本人と家族の意向が食い違ったケース、急変で十分な対話ができなかったケース——これらを「失敗」として隠すのではなく、組織の学習資源にすることが長期的な体制強化につながります。

家族の意向と本人の意向が食い違うとき

ACP実践で難しい場面のひとつが、「本人は延命を望まないが、家族は少しでも長く生きてほしいと思っている」というケースです。

清水の臨床倫理は、この対立を「どちらの意向を優先するか」ではなく、「それぞれの意向の背景にある価値観を理解し、対話を通じて共通の方向性を見出す」プロセスとして捉えます。

家族が「少しでも長く」と願うのは、本人への愛情の表れです。「もう十分生きた、苦しい治療はいらない」という本人の言葉も、同様にその人の価値観と人生観の表れです。この2つは矛盾しているように見えて、「その人にとっての最善」を共に模索するという意味では同じ方向を向いています。

訪問看護師がこの対話の場を「ファシリテートする」役割を担うためには、どちらの側にも立たない中立性と、どちらの思いも受け止める傾聴力が必要です。これは技術だけでなく、組織として「そういう場を作っていい」という文化的な許可があってこそ実践できます。

よくある質問

Q. ACPは全利用者に対して行う必要がありますか?

A. すべての利用者に対して同じ形でACPを実施する必要はありません。病状・認知機能・本人の準備状況によって、いつ・どのように話し合うかは異なります。「今は本人がこの話題を受け入れられる段階にない」という見立てをすることも、ACP実践の重要な判断です。ただし、「いつかやろう」と先送りにしているうちに意思決定能力が失われるリスクも現実にありますので、継続的な観察と機会の探索は大切です。

Q. スタッフが「死の話をするのが怖い」と言っています。どうすればいいですか?

A. 非常に自然な感覚です。まず「怖い」と感じること自体を組織として認める文化が必要です。その上で、ロールプレイや倫理検討会で「実際にはどう話すか」を練習する機会を作ることが有効です。「完璧に話さなければならない」というプレッシャーを下げ、「上手く聞けなくてもいい、一緒に考えようとする姿勢が大切」というメッセージを管理者が繰り返し伝えることが重要です。

Q. 認知症が進んでいる利用者のACPはどうすればいいですか?

A. 認知機能が低下していても、感情的な反応や非言語的なコミュニケーションを通じて意向を読み取れる場合は少なくありません。また、認知機能が低下する前に本人が語っていた言葉・価値観を家族や記録から掘り起こすことも重要です。清水の臨床倫理では、意思決定能力が低下した場合も「本人にとっての最善」を多職種と家族で共に考えることが倫理的な実践とされています。

Q. 主治医がACPに消極的な場合、どう関わればいいですか?

A. 医師によってACPへの関与スタンスは異なります。訪問看護師が本人から聴いた語りを「報告」として主治医に伝えることから始めると、医師がACPに参加する敷居が下がることがあります。「○○さんが最近こんなことをおっしゃっていたのですが、先生はどうお考えですか?」という形で、訪問看護師側から対話を始める姿勢が大切です。

Q. ACPの記録はどのように管理すればいいですか?

A. 本人の語りや意向は、看護記録・計画書や報告書、チャットツールなどに分散して記録されることが多いです。重要なのは「どこかに記録があること」ではなく、「関わるすべての人がアクセスできる状態にあること」です。ステーション内で「ACP記録の置き場所と参照のルール」を明文化することを推奨します。

まとめ

清水哲郎の臨床倫理が示すのは、ACP実践の本質が「書類の整備」でも「チェックリストの充実」でもなく、「本人の語りを継続的に聴き、多職種で意思決定プロセスを支える文化をつくること」にあるということです。

大切なのは「制度としてのACP」から「文化としてのACP」への視点の転換。スタッフが「答えを出す」のではなく「一緒に考える」姿勢を持てる組織環境、語りを記録し引き継ぐ仕組み、困難ケースを組織の学習に変える倫理検討会——これらの積み重ねが、現場でACPが機能するための土台です。

「訪問看護ステーションのACP体制」は、完成するものではなく、育てていくものです。

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