CASE
事例紹介
名古屋市の訪問看護ステーションFootageの事例紹介
CASE
01
ヘルパーとの連携で、幅広いサービスを
- 利用者
- Aさん 30代男性 父と同居
- 診断
- 頸髄損傷・神経因性膀胱
事例紹介
交通事故の後遺症として完全四肢麻痺・膀胱直腸障害があり、排便コントロールと膀胱留置カテーテルによる管理が必要なAさん。
頸髄損傷により体温調整が難しく、外気温に影響されるため自分でも注意している。感染対策のため外出を控えており、看護師と一緒に家の環境も調整している。外出制限によるストレスもあり、談笑を交えた介入を心掛けている。夕方に膀胱洗浄・夜間に入浴前後介助及び皮膚トラブル予防を実施し、体調変化なく過ごされている。
利用しているサービス
- 訪問診療
- 看重度訪問介護
- 訪問看護ステーション3箇所
Footageの対応
- 体調確認
- ヘルパーとの連携
- シャワー浴介助
- 就寝前介助
- 膀胱洗浄
- 皮膚トラブル予防
- ヘルパーと連携した適切なサービス提供
- 背景を踏まえた全人的な支援
CASE
02
本人・家族が
その方らしく暮らすお手伝い
- 利用者
- Bさん 80代女性 旦那様と同居
- 診断
- 右下葉肺がん末期・がん性胸膜炎
事例紹介
末期がんの診断を受けたBさん。旦那様の強い希望から診断名は未告知。初回往診に同行した際には体調も悪化しており、余命1週間と診断。点滴・医療用麻薬やステロイドの投与・在宅酸素療法による症状緩和実施。
症状緩和しながらも好きなカステラや鰻を食べたり、美容室に行ったりできるまで回復し、自宅で5ヶ月間ほど生活を送ることができた。最期は旦那様見守りの元、ご自宅にてご逝去された。
利用しているサービス
- 訪問看護
- 訪問診療
- 訪問薬剤
- 居宅介護支援
- 福祉用具
- 在宅酸素業者
- 訪問介護
Footageの対応
- 体調確認
- 在宅点滴・酸素療法
- オピオイド管理
- 服薬管理
- 意思決定支援
- 精神的援助
- グリーフケア
- 本人及び家族のご希望に沿った終末期ケア
- 身体的・精神的苦痛への緩和ケア
- 終末期における意思決定支援
CASE
03
病院との連携で早期退院の希望を実現
- 利用者
- Cさん 80代女性 旦那様と同居
- 診断
- 慢性閉塞性肺疾患
事例紹介
Cさんは慢性閉塞性肺疾患(COPD)により夜間帯に人工呼吸器が必要な状況になり、退院に向けてマスクフィッティング・機材取扱いの練習を実施するも手技獲得に苦戦。手技が獲得できない不甲斐なさで病院での言動が厳しくなり、指導に入っている看護師も近寄り難い状態となってしまった。そういった経緯もあり、Footageで夜間訪問を実施してほしいと依頼あり。
退院後には呼吸器管理の経験があるスタッフがメインとなり指導を行い、特別指示書の2週間以内でマスクフィッティング・機材の取扱いを本人・家族共に実施できるようになった。
またICTを活用し自宅でも医師・看護師と呼吸器の数値を共有し、安心できる在宅療養環境を構築することができた。
利用しているサービス
- 訪問看護
Footageの対応
- 在宅での指導による在院日数短縮
- ICTを活用した病院との連携
- 夜間帯の定期訪問
- ご本人と病院の双方の障壁を解消するサポート
- 特別訪問看護指示書期間内での在宅療養指導
CASE
04
本人が望む人生を
家族・訪問看護のチームで叶える
- 利用者
- Dさん 70代男性 奥様と同居
- 診断
- 膵臓がん・肺、肝転移
事例紹介
膵臓がんに対して手術・抗がん剤治療など積極的な治療を行なっていたが肺転移・肝転移が見られ腫瘍が増大。抗がん剤投与は困難となり主治医より本人・家族に説明される。ご本人は「自宅に帰りたい」という強い希望があったため在宅で緩和治療の方針となる。入院中に閉塞性黄疸・胆嚢炎があり胆嚢ドレナージ実施。
退院前に主治医・退院支援看護師・病棟看護師・ケアマネジャー・福祉用具担当・訪問看護師で現在の状態や必要な環境調整・サポート体制について退院前カンファレンスを実施。12月に在宅療養環境が整い、住み慣れた自宅へ帰宅される。
退院当日から訪問看護師が介入し体調確認・環境確認・チューブ・ドレーン管理等について家族指導を実施。
ご本人は明るく穏やかな人柄で、自宅にくる看護師に対して楽しそうに話されていたのが印象的。
「僕は延命治療はしたくない。自分でやれる事は自分でやりたいから。いつまで生きられるかなあ?桜が咲くまで、生きれるかなあ?桜が見たい、鮎が食べたい、桜餅も食べたい。車椅子には乗りたくない。ホスピスには行かない。家にいたい。」と話された。
入浴が好きであったためドレーンチューブが濡れないよう丁寧に保護し、自宅での入浴を楽しんでいただく。奥様と買い物に行かれたり家族との時間を過ごされる。
年を越した辺りでご本人から「出来ていたことがだんだん出来なくなっていく。ご飯が食べられなくなってきた。家族に迷惑をかけたくない。」という言葉や、今後自分自身にどんなことが起こるのかという質問が増える。
出来るだけ疑問や不安が解消されるように対応しスタッフ間でも共有を行った。
3月上旬:強い咳や呼吸苦が出現し在宅酸素療法と医療用麻薬の処方も開始。体動での負担が大きいため環境調整を実施し、安楽な姿勢や負担を減らす過ごし方について相談する。
3月中旬:ご本人は「最期は自宅で亡くなりたい。点滴もするか迷っている。」と話され、奥様は「本人が苦しむならば自宅で看きれないから最期はホスピスに行ってほしい。」という思いがあった。
私たちはケースカンファレンスにてスタッフ同士で話し合いを実施し、本人の苦痛とご家族の負担を減らしできる限り自宅で過ごしていけるよう介入していく結論に至る。
主治医やケアマネジャーとも情報を共有し、まずは訪問看護の介入回数を週に2回から4回へと増やして対応することとなる。
暖かい季節となり例年より一足早く桜が開花する。
「あんなに好きだった奥さんのごはんがね、美味しく感じなくなってきたんだ。歩くのも歩けなくなって。自分じゃないみたいだよ。何も出来ない。」と。
奥様は「お父さん、桜が咲いてきたよ。一緒に観に行きましょう。娘も来てくれるから。」と本人に話される。
この時点で簡単に外出が出来る状態では無く、桜を見ることは困難であるという結論は容易であったが、ある日少しだけ症状が緩和されている日があった。
訪問看護師に対して「〇〇さん、僕今なら行けるかなって思う。僕が決めれることじゃないけど。」と話された。その一言で十分であった。
すぐに他看護師や関係各所と連絡をとり協議を行った。酸素ボンベの運び方やベッドから車までの移動手段の打ち合わせが行われる。
医師から家族にリスクを説明し承諾していただいた上で、桜を見るための外出支援を行った。
打ち合わせ通り車に乗り込み看護師同伴で以前よく行ったという公園へ向かった。
Dさんは車窓から見える桜に「ああ、綺麗だ。」一言そう呟いた。
暖かい空気、桜の花びら、春の風に包まれ家族で写真撮影を行う。
帰宅後は呼吸苦は減り、少し活気さえあるように感じられた。
翌朝6時頃、呼吸苦が強いと連絡が入り緊急訪問を行う。
「あ、〇〇さんが来てくれたならもう安心だ」「病院の看護師さんよりも救急車よりも早く来てくれるよ!」「朝早く呼んじゃってごめんね」と声をかけてくださり、ご家族には「抱きしめててくれるのは嬉しいんだけど、疲れちゃうだろ?無理しなくていいよ」と苦しいはずのDさんが誰よりも周囲に気を配っていた。苦しい状況に対して「ちくしょー、ちくしょー...」誰を責めるわけでもなく自分自身と戦っていた。呼吸が苦しく喋るのも辛い状態であるのに訪問看護師を気遣い微笑まれる。
その日の昼には意思疎通が困難となり身の置き所がなく手足を動かされる状態になる。
苦しそうなDさんをみて、家族はすすり泣いていた。
ご家族と話し合い、苦痛の緩和のために鎮静剤を使用することとなる。鎮静剤を投与し始めて徐々に体動がなくなっていくDさんをみて、奥さん・娘さん2人はDさんの体に触って声をかけていました。「眉間のしわがとれたね。」と涙声で声をかけていた。
夕方「呼吸が止まりました」とご家族から電話があり、緊急訪問。ご自宅前に着いた時点でご家族の泣き声が外まで聞こえている状況。インターフォンを押すと奥様が目を赤くしながら玄関を開けてくれる。ご本人の元へ通していただくと、娘様おふたりがDさんに縋り付くように号泣されている。往診医が到着し死亡確認をされる。
その後はご家族とともにDさんの身体を綺麗にさせていただくことを提案し、ご家族主体で清拭・更衣を実施し、軟膏を全身に塗布していただいた。
娘様に昨日桜を見に行った時のDさんの写真を見ていただくと「桜の頃までは生きたいって言ってたんですよ。昨日、行けて本当に良かった。お母さんのことが大好きなお父さんでした。」と泣き笑い。
数日が経過し、奥様・娘様がFootage事業所に来訪してくださる。
「皆さん本当にありがとうございました。父と皆さんの事は一生忘れません。父もとても喜んでくれていました。桜を見せてくれてありがとうございました。」と涙ながらにお話してくださった。
利用しているサービス
- 訪問診療
- 訪問薬剤
- 居宅介護支援
- 訪問看護
- 福祉用具
- 在宅酸素業者
Footageの対応
- ターミナルケア
- 医療・介護サービスの調整
- チューブ・ドレーン管理等の家族指導
- 在宅酸素療法
- 本人の意思を尊重した支援
- 他医療機関との連携